1689年(元禄2年)芭蕉は白石城を見たあと仙台に向かっています。この白石城は1600年・慶長5年、伊達正宗が上杉氏を攻め落として手に入れた城ですが、1995年に復元され、現在も白石市のシンボルとなっています。伊達正宗は仙台の青葉城を居城とした62万石の大名として知られます。彼は2代将軍(秀忠)3代将軍(家光)の信任も厚く当時としては珍しく文武両道に長けた武将だったといわれます。勝れた才能を持ち大変すばらしい、漢詩や和歌を沢山残しています。
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興を遺るの吟 伊達正宗
馬上に青年過ぎ 時 平かにして白髪多し
残躯天の許す所 楽しまずんば復如何せん
かって平家が全盛を迎えたころ、平清盛に追われた常盤御前が今若・乙若・生まれたばかりの牛若を連れて大和路を落延びてゆきました。しかし間もなく捕えられてしまいます。美人の誉れ高い常盤御前は清盛に従うことで、親子ともども命を助けられます。しかしこの清盛の情けが、わが身の命取りとなってしまいます。牛若丸は鞍馬山の山中で成長し、源義経となり、源氏の三軍を指揮するまでに成長します。彼は平家を壇の浦に追い詰め、平家滅亡に追いやったのです。
常盤孤を抱くの図に題す 梁川星巌
雪は笠檐に灑いで 風袂を捲く 呱々乳を覓むるは若為の情ぞ
他年鉄拐 峰頭の嶮 三軍を叱咤するは 是れ此の声
さて平泉に別れを告げた芭蕉は天童市にある立石寺(りゅうしゃくじ)にやってきます。860年に慈覚大師が開いたといわれるこの寺では、奇岩怪石の中に樹木が茂っていて、蝉の声が聞こえてきました。「しずかさや 岩にしみいる 蝉の声」あの美しい句はここで詠まれたのです。そして雨で増水した最上川にやってきた芭蕉は近くの俳人たちと句会を開き、これまた良く知られる句を詠んでいます。こうして少しずつ芸術性を高めてきた芭蕉独特の句は「京都の和歌に対して、江戸を代表する新しい17文字による句」として「芸術的な芭蕉の蕉風」が作り上げられていったようです。
俳句二題 芭蕉
閑かさや 岩にしみいる 蝉の声 岩にしみいる 蝉の声
五月雨を 集めて早し 最上川 集めて早し 最上川
元禄2年7月7日芭蕉は酒田から象潟を経て新潟県直江津に入ります。佐藤元仙宅で句会を開き「荒海や佐渡に横とう天の川」を詠んでいます。これも芭蕉の代表的な句として知られています。ここから海岸線を金沢に向かった芭蕉は市振りあたりで親知らずの海岸にさしかかります。今はトンネルが出来、難なく通過できますが、芭蕉の時代は北国街道最大の難所と言われ、親子といえども顧みる間もなく、犬や馬も渡りかねる難所だったといわれます。
親不知 佐田 竹水
慈母 天涯 久しく別離す また逢う北地 冴寒の時
傍人且つ説く前途の悪しきを肝は落つ越州の親不知
荒海や 芭蕉
荒海や 佐渡に横とう 天の川 佐渡に横とう 天の川
しほらしき 名や小松吹く 萩すすき 名や小松吹く 萩すすき
石川県小松市にある那谷寺(なたでら)は美しい岩山で知られます。境内には「石山の石より白し秋の風」と刻まれた芭蕉の句碑があります。滋賀県の石山寺にも境内に大きな岩があると聞きましたが・・・那谷寺の岩の方が白いよと言いたいのでしょうか?或は中国では春夏秋冬を色で表現する習慣があり、秋は白色を表していますが・・・秋たけなわを意味しているのでしょうか。かって能因法師が景勝の地・象潟を旅した時、海辺にある粗末な小屋に旅寝をして詠んだといわれる歌も、お聴きください。
あかあかと 芭蕉 ココをクリックして吟詠を聴く
あかあかと 日はつれなくも 秋の風 日はつれなくも 秋の風
石山の 石より白し 秋の風 石より白し 秋の風
世の中は 能因法師
世の中は かくも経けり 象潟の あまの苫屋を 我が宿にして
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