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2009年1月17日 (土)

吟亮流の初吟会に参加しました。

         「吟亮流 吟風会 初吟会」                    Hatugin_1

   期日   平成21年1月11日(日)

   会場   東部ホテル レバント東京(錦糸町駅前)

すばらしい快晴に恵まれた1月11日、午前11時から吟亮流吟風会の初吟会並びに新年会が開催されました。吟亮流の宗家、会長以下100余名が参加し、厳粛なひとときだけでなく、華やかで楽しい一日を過ごしました。会員全員による「吟風即事」の吟詠のあと、河野先生(尺八奏者)喜田先生(箏奏者)による新春序曲「春の海」の演奏は曲の美しさと清々しい音色にすっかり心が洗われました。引き続いて宗家による初吟会となりました。講習吟題は「大正天皇御製  ふり積もる」で詩文の解説と吟詠の指導を受けました。初吟会も終わり会場を移してひきつずき懇親会が開催されました。会員の鈴木吟虹さんの祝舞など様々な余興がにぎやかに繰り広げられ大変な盛り上がりの中で終了しました。

                                                                                                           Hatuginn_2_5
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           ふりつもる    大正天皇御製                   

  ふりつもる 雪にまみれて 群れあそぶ こいぬを見れば 寒さ忘るる
  
  ふりつもる 雪にまみれて 群れあそぶ こいぬを見れば 寒さ忘るる

              
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2009年1月 6日 (火)

企画構成吟「奥の細道・・・俳句のふるさとを行く・・・」 --5--

芭蕉は敦賀まで迎えに来た門人の路通と共に「奥の細道終焉の地・大垣」に到着します。行程600里、150日間にも及ぶ長い旅はこうして終わりました。大垣は揖斐川・水門川・杭瀬川など河川が多く当時は特に水門川は物資の集積地として栄えた所として知られます。当時は大垣から桑名に向かう舟は大変発達していて、かって頼山陽も大垣から京都に帰る折、たびたび利用していたようです。

            舟大垣を発し桑名に赴く   頼 山陽                             049

     蘇水 遥々海に入って流る 櫓声 雁語 郷愁を帯ぶ

     独り天涯に在って年暮れんと欲す 一蓬の風雪濃州を下る


芭蕉が終焉の地、大垣に到着した事を聞いた、弟子の曽良は伊勢からかけつけ、門弟たちも各地から集まり、芭蕉の長旅の労をねぎらいました。しかし芭蕉はこの旅を終えたわずか3日後に、ふたたび水門川の舟町港から門人たちに見送られて伊勢に向かう旅に出ました。「奥の細道むすびの地」に残された「蛤のふたみに別れゆく秋ぞ」の句碑からもその様子がうかがえます。その後も旅を続けていた芭蕉は、大阪の南御堂で病に倒れ門人たちに囲まれて、息を引き取ったという事です。「旅に病んで夢は枯れ野をかけ廻る」という辞世の句まで残し、まさに旅に生き、旅に死した芭蕉でした。芭蕉は琵琶湖畔にある大がが大好きで、たびたびやってきたようです。芭蕉の遺言もあって、ここ琵琶湖畔にある義仲寺の中の木曾義仲の墓のすぐ隣に墓が造られました。「木曾殿と背中合わせの寒さかな」とたいへん粋な句が刻まれた「芭蕉翁」の墓は門人たちの手で作られたということです。
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            旅に病んで    芭蕉       

   旅に病んで 夢は枯れ野を かけ廻る 夢は枯れ野を かけ廻る           022

   木曾殿と 背中合わせの 寒さかな 背中合わせの 寒さかな


さて大変すばらしい俳句や紀行文を沢山残し、51年という短い人生を閉じた芭蕉ですが、彼は旅に出る時は必ず杜甫の詩集を携えていたといわれます。若いころから諸国を旅し漂泊の身となっても、なお各地を流浪し、「人間愛に満ちた生涯を送った中国の大詩人・杜甫」を芭蕉は常に心の師としていたのでしょう。 それでは最後に杜甫の普及の名作「春望」を芭蕉へのはなむけの言葉としてお別れをしたいと思います。

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              春 望      杜甫                                 

   国破れて 山河あり 城春にして 草木深し

   時に感じては花にも涙を濯ぎ別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

   烽火三月に連り 家書 万金に抵る                                                 029    

   白頭掻けば さらに短く 渾て簪に勝えざらんと欲す

            

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2009年1月 4日 (日)

企画構成吟『奥の細道・・・俳句のふるさとを行く・・・』   --4--

1689年(元禄2年)芭蕉は白石城を見たあと仙台に向かっています。この白石城は1600年・慶長5年、伊達正宗が上杉氏を攻め落として手に入れた城ですが、1995年に復元され、現在も白石市のシンボルとなっています。伊達正宗は仙台の青葉城を居城とした62万石の大名として知られます。彼は2代将軍(秀忠)3代将軍(家光)の信任も厚く当時としては珍しく文武両道に長けた武将だったといわれます。勝れた才能を持ち大変すばらしい、漢詩や和歌を沢山残しています。 

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        興を遺るの吟   伊達正宗
       
      馬上に青年過ぎ 時 平かにして白髪多し                 035_3      
                                                      
     残躯天の許す所 楽しまずんば復如何せん                       


かって平家が全盛を迎えたころ、平清盛に追われた常盤御前が今若・乙若・生まれたばかりの牛若を連れて大和路を落延びてゆきました。しかし間もなく捕えられてしまいます。美人の誉れ高い常盤御前は清盛に従うことで、親子ともども命を助けられます。しかしこの清盛の情けが、わが身の命取りとなってしまいます。牛若丸は鞍馬山の山中で成長し、源義経となり、源氏の三軍を指揮するまでに成長します。彼は平家を壇の浦に追い詰め、平家滅亡に追いやったのです。

         常盤孤を抱くの図に題す   梁川星巌

    雪は笠檐に灑いで 風袂を捲く 呱々乳を覓むるは若為の情ぞ

    他年鉄拐 峰頭の嶮 三軍を叱咤するは 是れ此の声


さて平泉に別れを告げた芭蕉は天童市にある立石寺(りゅうしゃくじ)にやってきます。860年に慈覚大師が開いたといわれるこの寺では、奇岩怪石の中に樹木が茂っていて、蝉の声が聞こえてきました。「しずかさや 岩にしみいる 蝉の声」あの美しい句はここで詠まれたのです。そして雨で増水した最上川にやってきた芭蕉は近くの俳人たちと句会を開き、これまた良く知られる句を詠んでいます。こうして少しずつ芸術性を高めてきた芭蕉独特の句は「京都の和歌に対して、江戸を代表する新しい17文字による句」として「芸術的な芭蕉の蕉風」が作り上げられていったようです。

            俳句二題      芭蕉

   閑かさや 岩にしみいる 蝉の声 岩にしみいる 蝉の声

   五月雨を 集めて早し 最上川  集めて早し 最上川


元禄2年7月7日芭蕉は酒田から象潟を経て新潟県直江津に入ります。佐藤元仙宅で句会を開き「荒海や佐渡に横とう天の川」を詠んでいます。これも芭蕉の代表的な句として知られています。ここから海岸線を金沢に向かった芭蕉は市振りあたりで親知らずの海岸にさしかかります。今はトンネルが出来、難なく通過できますが、芭蕉の時代は北国街道最大の難所と言われ、親子といえども顧みる間もなく、犬や馬も渡りかねる難所だったといわれます。

                          親不知     佐田 竹水                    045      

      慈母 天涯 久しく別離す また逢う北地 冴寒の時

      傍人且つ説く前途の悪しきを肝は落つ越州の親不知


                荒海や    芭蕉

      荒海や 佐渡に横とう 天の川  佐渡に横とう 天の川

     しほらしき 名や小松吹く 萩すすき 名や小松吹く 萩すすき


石川県小松市にある那谷寺(なたでら)は美しい岩山で知られます。境内には「石山の石より白し秋の風」と刻まれた芭蕉の句碑があります。滋賀県の石山寺にも境内に大きな岩があると聞きましたが・・・那谷寺の岩の方が白いよと言いたいのでしょうか?或は中国では春夏秋冬を色で表現する習慣があり、秋は白色を表していますが・・・秋たけなわを意味しているのでしょうか。かって能因法師が景勝の地・象潟を旅した時、海辺にある粗末な小屋に旅寝をして詠んだといわれる歌も、お聴きください。

          あかあかと   芭蕉     ココをクリックして吟詠を聴く

    あかあかと 日はつれなくも 秋の風 日はつれなくも 秋の風        026     

    石山の 石より白し 秋の風 石より白し 秋の風


          世の中は     能因法師                                 

   世の中は かくも経けり 象潟の あまの苫屋を 我が宿にして               

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