企画構成吟「奥の細道・・・俳句のふるさとを行く・・・」 --3--
「衣川は和泉が城を巡りて、高館の下にて大河に落ち入る。泰衝らが旧跡は、衣が関を隔てて南口をさし固め、蝦夷を防ぐと見えたり。さても義臣すぐってこの城にこもり、功名一時の叢となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと笠うち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ。 夏草や 兵どもが 夢の跡」「奥の細道」を語る時は必ず紹介される最大の情景です。
奥の細道 芭蕉
偖も義臣すぐって この城にこもり 功名一時の叢となる
国 破れて山河あり 城 春にして草 青みたりと
笠打ち敷きて 時のうつるまで 涙をおとしはべりぬ
夏草や夏草や 兵どもが夢のあと 兵どもが夢のあと
「参考」和泉が城=秀衝の三男の居城・ 高館=義経の居城・ 義臣=義経の家臣
で弁慶や兼房をいう。
「文意」今は夏草だけが生い茂っているが、ここはかって義経主従や藤原一族が功名
や栄華を夢見たところだ。一面に生い茂る夏草を眺めていると、すべてが一
丈の夢と消えた哀れさに心うたれる。
藤原一族全盛のころは、ここ中尊寺の周りには朱塗りの楼閣が沢山立ち並び、僧坊は300余もが立ち並び、豪華を極めたといわれます。しかし建武4年の火災で全てが焼失、金色堂だけが残りました。かって壇の浦で平家を滅亡に追いやって歴史に名を残した源義経はその後、兄の頼朝に追われる立場になってしまい、ここ藤原一族のもとで庇護を受ける身になってしまいました。そして藤原秀衝が亡くなると、待っていたかのように頼朝軍が押し寄せ、義経は高館で討たれ、短い生涯を終わったのでした。義経最後の地となった高館に登ってみますと、北上川と衣川が合流する様子が眼下に見えました。あたりを見回すと当時の華やかな功名の跡はなく、ただ草が生い茂っているだけでした。悲劇の主人公・義経の死と時を合わせるように藤原三代の栄華も幕を閉じたのです。「平泉懐古」の吟詠はココをクリックしてお聞きください。
弁慶も たつやかすみの 衣川 (宗鑑)
卯の花に 兼房みゆる 白毛かな (曽良)
平泉懐古 大槻 磐渓
三世の豪華 帝京に疑す 朱楼 碧殿 雲に 接して長し
只今唯東山の月のみ有って 来たり照らす当年の金色堂
「文意」奥州藤原氏の三代にわてる繁栄は豪華を極め、まるで京都の街のようだった
ということです。
平泉の中尊寺がある高台から前方に見える600メートルほどの山は、束稲山(たばしねやま)と呼ばれ当時は桜の名所として知られていました。ここは吉野山の桜より美しいと評判となり、各地から沢山の人が訪れていました。西行法師も束稲山にやってきて吉野山の桜のほかにもこんなに美しい桜があったんだと歌にしています。「束稲山」の吟詠はココをクリックしてお聴きください。
束稲山の 西行法師
ききもせず 束稲山の さくら花 よしののほかに かかるべしとは
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