2012年1月12日 (木)

吟亮流一門の新年会に参加しました。

4 
吟亮流一門の新年会が賑やかに開催されました。昨年の7月に宗家が(財)日本吟剣詩舞振興会の会長に就任されるという大きなニュースあった直後で今回は内容も大変斬新で楽しい初吟会となりました。

          「記」

期日   2012年1月8日(日)

会場   東武ホテル レバント東京

内容   初吟会および懇親会

JR錦糸町駅の北口から会場に向かうと、右手眼前には完成したばかりの東京スカイツリータワーが聳え立っていました。今回の初吟会では私は「開会あいさつ」を行う事になっていて開会までは大変緊張する時間をすごしました。初吟会では河野先生の尺八、喜田先生の琴による、新春序曲「宮城道雄作曲・春の夜」のすばらしい演奏が披露されました。そのあとの懇親会では吟亮流会長と友人の3名によるギターなどによるミニコンサート、さらには三遊亭楽市(二つ目)の落語が披露されました。三遊亭楽市は三遊亭円楽の弟子で会長の友人で岐阜市出身とのことで私と同郷の人だと知りおおいに親近感をもちました。そのあとカラオケ大会、抽選会などと続き約3時間の楽しい初吟会となりました。
20126_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月19日 (月)

詩吟教室を開設して15年目を迎えます。

002
1979
年に東京都杉並区の社宅から新松戸に移り住んでからもう32年が過ぎ驚いているところです。新松戸に転居当時は地域住民の知り合いは全く無く、定年後は知人もいなくなってしまうという不安で今後どうするかが私の大きな課題でした。そこで趣味の詩吟を利用して知り合いを作ろうと考え、定年1年前の199711月にまず「詩吟の初心者講習会」を開催してみました。結果は私の心配をよそにビックリするほど沢山の人から申込がありました。そればかりか参加者の年齢が私自身と略同じである事に気が付きすっかり元気が出てきました。12月に入って新松戸市民センターで「吟亮流新松戸詩吟教室」を開設しました。その後、会員からの希望もあって馬橋市民センターにも教室を開設しました。毎月2回開催とし、土曜日は新松戸教室、日曜日は馬橋教室として順調に続けてきました。その後更に、八ヶ崎市民センターにも教室を作り、合計3か所で教室を開設し現在に至っていますが、いつの間にか15年目を迎える事になりました。その間本当に沢山の会員の皆さんの入会や退会があり私としては大変素晴らしい沢山の人との出会いを経験しました。15年前の心配が嘘のように最近は30名ほどの会員のひとたちと楽しく過ごしています。今年は7月に私の詩吟の先生・吟亮流宗家・鈴木吟亮先生が(財)日本吟剣詩舞振興会の会長に就任されるという素晴らしい出来事もあり「詩吟との出会い」に大変感謝をしているところです。当初から講義用として「譜面入り詩吟テキスト」なる冊子を発行してきましたがこの度「テキストNO26」を発行しました。1冊あたり約30の詩文を組み込んできましたのでこれまでにザックリ700詩(漢詩・和歌・俳句)ほどを会員の皆さんに紹介してきたことになります。よくもまあここまで続けてこられたものだと我ながら感心をし、最近はあとどれくらい続けられるかが私の最大の心配事となりました。
「備考」
写真上は初めての「初心者講習会」の風景(1977年)写真下は2011年正月の「初吟会」の風景です。
2011

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月27日 (日)

吟詠指導者研修会の『特別講演』に大感動しました。

Photo      
 
   「第24回東日本吟詠指導者研修会」

期日       2011年11月26日(土)  13.00~  

会場       調布市グリーンホール  大ホール

特別講演    講師   三重大学教授(教育学部)   弓場 徹

講義内容      発声機能解剖生理学を基にした『いつも若々しい声を

                      出すた
めの発声トレーニング』の理論と実践。

今回の吟詠研修会では吟亮流・鈴木吟亮宗家(東日本地区連絡協議会議長)が研修会を主催されるだけでなく(財)日本吟剣詩舞振興会会長として講義、模擬吟詠者の審査、講評をされるなど大変多忙な様子が伺われました。門下生で本日は受講生の私としては格別な研修会となりました。
とりわけ今回の「特別講演」はほんとうにすばらしい講演会で感動しました。講師の実にたくみな話術、学術的で難しい理論も解りやすく解説、特筆すべきはプロの歌手以上の抜群な歌唱力でピアノ伴奏をバックに様々な歌を披露しながら発声法の実践指導をされ1時間30分という長い時間もまたたく間に過ぎてしまいました。 それもそのはずで、弓場先生は東京芸術大学卒業後「発声制御理論」を確立され発声法実践では国内だけでなく広く海外までの様々なジャンルのプロの歌手の発声法の指導をされている事を知りました。最近は東大の詩吟研究会で発声法指導をされたり各流派の吟詠家の発声法指導をされるなど詩吟とも深い関係をお持ちである事を知りました。著書も多くボイストレーニング用のCD・DVDも多数と広範な活動をされていて本当にすばらしい魅力的な先生の講義でみのり多い研修会となりました。

「備考」写真上は鈴木吟亮宗家(福井玲子先生)写真下は弓場徹先生の講演風景。
 
Photo_3
        

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月14日 (金)

吟亮流一門の『秋の温習会』に参加しました。

6_3 

吟亮流では毎年春と秋に会員による吟詠発表会を、二月には『吟亮流吟詠指導者』による吟詠発表会と、年間で3回の吟詠発表会を開催しています。

                 「記」 
                       
Photo_2
期日    2011年10月10日(祭)  9.30~17.30

会場    野方ホール(東京都中野区)                   


内容    ①昇段者の許状授与式 ②宗家・会長・会員吟詠 

       ③企画構成吟

今回の秋の発表会は宗家が(財団)日本吟剣詩舞振興会会長に就任後はじめての発表会という事もあって大変活気に満ちていました。特に最近若手吟詠家として注目されている吟行会長(宗家のご子息)は「失敗を恐れず、吟界にも新しい風を起こしたい」とはじめて自ら斬新な企画構成吟『過去と出会うラジオ番組風構成吟・・・時を超える山の旅・・・』を発表し積極的な取り組みに大変好評を博しました。
私自身も初吟会の折りに「皆伝師範」の許状を頂いて以来はじめての発表会となって「石川啄木作・ふるさとの」の吟詠を、構成吟では「阿倍仲麻呂作・天の原」の吟詠を披露しました
阿倍仲麻呂は西暦717年に遣唐使と一緒に中国(唐)に渡りました。16歳で唐の大学で学び、科挙の試験にも合格し玄宗皇帝の宮廷で役人として生涯を終えました。一度は帰国しようとしましたが、途中で遭難し再び中国に漂着、日本に帰る事はありませんでした。この歌は「古今集」にもありますが中国で詠んだ歌です。「大空に出た月を見て、思わず日本の奈良の都で見た三笠の山に出た月と同じだ」と詠んだすばらしい望郷の歌で私の大好きな歌のひとつです。彼は李白・杜甫・王維など有名な詩人とも大変親しい仲だlったようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月24日 (土)

「米百俵の精神」小林虎三郎の漢詩「清夜吟」を紹介します。

Yun_2961_2 吟亮流千葉吟風会の第42回大会(2012年6月開催予定)に発表予定で企画構成吟『日本の夜明け・・・文明開化の音がする・・・』の準備を始めました。幕末から明治維新にかけて作られた有名な漢詩・和歌・俳句を集めて明治維新の物語りを作りあげてゆくのでが・・・・この設計が最も大変で重要な仕事になります。
かって小泉総理大臣の所信表明演説で有名になった「米百俵の精神」の主人公である長岡藩士.小林虎三郎は明治維新の戊辰戦争に巻き込まれてしまいました。この戦で長岡藩は壊滅的な打撃を受けました。窮状を見かねた友藩から米百俵が援助されました。この米の配分を心待ちにしていた藩士たちに向かって藩の幹部だった小林が「百俵の米も食べれば忽ち無くなってしまう。しかしこの米を教育に使えば一万いや百万俵にもなる」と諭し、米をお金に替えて学校建設をなしとげ「米百俵で未来を創った男」として有名になりました。実は小林虎三郎は吉田松陰とともに佐久間象山の大変優秀な門下生でした。かって師の象山から「国家の政治は吉田松陰、国家の教育は小林虎三郎の右に出るものなし」と言わせた事が知られています。その小林虎三郎は漢詩人としてもいくつかの傑作を残しています。その中の「清夜吟」を紹介します。

         清夜吟    小林虎三郎

    天に万古の月有り 我に万古の心あり

    清夜高楼の上 欄によっていささか襟を開く

    天上 万古の月 我が万古の心を照らす

「文意」
小林は佐久間象山の門下だった事から思想的には開国派で、戊辰戦争では勝ち目が無いとして反戦を主張し長岡藩主から蟄居を申し渡されました。その時に詠んだ詩といわれます。「私の開国と反戦の思いは今も変わる事はない、私の信念(万古の心)が変わる事はない。天上の月も同様に昔から少しも変わっていない。私の心を理解してくれるのは万古の月だけだ。
この詩の解説書が見当たらず苦労しましたが、今回は新潟県長岡市立中央図書館の貴重資料担当の今井さんにいろいろご教示をいただきました。有難うございました。

Yun_10791

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月31日 (水)

野田佳彦総理大臣が誕生しました。

Photo
2011-8-30の民主党代表選挙で新代表に決定した野田佳彦氏が8月31日に開催された国会で第95代の総理大臣に指名されました。野田氏は私の住む千葉県在住で私の長女が卒業した県立船橋高校の先輩という事もあって親近感のある人という思いから大変嬉しい出来事となりました。
1957年生まれ54歳と若く、千葉県の県会議員を2期務めたあと、1993年から衆議院議員(千葉4区)となり2010年には管政権の財務大臣となりました。今回の民主党代表選挙の立候補者演説をたまたま聴いていたのですが野田氏の演説に大変感動しました。「私は若い頃はしゃいな文学青年だったので時代小説を沢山読みました。藤沢周平からは「武士の凛とした矜持」を学びました司馬遼太郎からは「夢と志」を学び山本周五郎からは「人情の機微」を学びました。私はこれらを通して政治家の素養を身につけてきたように思っています」と文学的な挨拶で、感動しました。さらに「私は相田みつをの詩が好きです。ドジョウが金魚の真似をしてもしょうがねージャンという言葉が好きです。これからもドジョウのように泥臭く汗をかく政治をすすめてゆきたいと思っています」とどこまでも飾らないハートフルな人柄が印象的で異色な政治家に感激しました。新聞によれば新総理は1986年から2010年まで14年間毎日のようにJR津田沼駅前や船橋駅前に立って政治改革の演説を続けていたという事で地元では「駅前弁士」と呼ばれていたという事です。私としては管政権に毎日腹立たしい思いをしていただけにこの真摯な態度の新総理に今後おおいに期待したいと思っています。Photo_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月26日 (金)

会員の感想文に感激し来年も挑戦する事にしました。

18_2                                                                                                                  
今年度の「第41回 吟詠の集い」では企画構成吟「花の都長安」を発表しましたが詳しい内容は前のブログでも紹介しました。このほど千葉吟風会の会員向け機関誌(200号201号)に3名の会員のみなさんの感想文の掲載がありました。いずれもお褒めの言葉を頂きすっかり感激しました。有難うございました。

今回は私の第9作目の作品で脚本・舞台設計・Power Point 用スライド作成など私自身でもかなり時間を費やし完成度の高い作品になったのでは・・・との思いがありました。そのため、この感想文は本当にうれしく読ませていただきました。そして来年の「第42回 吟詠の集い」にも第10作目になりますが是非挑戦してみようと闘志がわいてきました。今度は日本を舞台として「明治維新の物語」を取り上げてみようと計画をしているところです。

3名のみなさんの投稿内容(構成吟関係部のみを抜粋)を感謝をこめて紹介をします。
① 千葉吟風会入会後1年のAさん
  唐の時代背景、活躍した人々が目に浮かぶようなすばらしい内容で・・・私の心を
  とりこにしました。
② 千葉吟風会入会後半年のBさん
  舞台のスクリーンに投射された「スイライドと詩文」物語の朗読、吟詠、詩舞などの演技
  が一体となって感動の連続でした。本当すばらしい内容でした。
③ 千葉吟風会入会後半年のCさん
  ナレーションと詩吟とスクリーンの映像がうまく進行しすばらしかった。唐代の有名な
  詩人の様子や唐の時代が崩壊してゆく様子が解りやすい朗読で私自身大変勉強に
  なった。大勢の来場者が最後まで傾聴していたのはすばらしい内容だった事を物語
  っていたと思います。
21

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月 4日 (木)

構成吟「花の都長安」のDVDが完成しました。

Dvd_2 
「千葉吟風会第41回「吟詠の集い」
は去る6月19日(火)に無事終了しました。このほど当日のメインイベントの企画構成吟「花の都長安・・・時代を謳歌した唐の詩人たち・・・」のDVDが完成し私の手元に到着しました。今回は私の第9作目の作品なのですが、特に「脚本」「舞台設計」「パワーポイントによるスクリーン設計、製作」「伴奏曲の選択」などいろいろな仕事を担当しこれまでの中でも最も完成度の高い作品に出来たのではないかと思っています。ビデオ作成に詳しい会員の方が立派に編集されたDVDを早速再生してみました。今回は所要時間が1時間10分で、ナレーションも聞きやすく途中のトラブルも殆どなく改めてその出来栄えに満足をしているところです。私自身の作品記録として残したいと思い写真のように改めてレーベル印刷したDVDのコピー版を作成してみました.
(写真の上で右クリックで拡大できます)
今回は終了後、会員のみなさんからもナレーション、スクリーンともにすばらしくて、舞台で吟詠を行っていても自身が詩人になったようで大変気分がよかったとの言葉をいただきました。私は色々な作業が多く今回は袴姿での吟詠は出来ませんでしたが一番最初に「早に白帝城を発す」の吟詠を行いました。千葉吟風会の会誌を見ました所、見知らぬ会員さんの記事があり大変嬉しく感激しましたのでその文章の一部を紹介します。

「第41回 吟亮流千葉吟風会 吟詠の集いに参加して」
私は 吟詠芙蓉クラブに入会して1年も経過していませんが、先日の第41回吟詠の集いにはじめて参加させていただきました。独吟コンクールや教室毎の合吟に出場できたことは、この上ない喜びでした・・・・以下省略・・・・特に構成吟「花の都長安・・・時代を謳歌した唐の詩人たち・・・」では、唐の時代背景や活躍した詩人たちの様子が目に浮かぶようで、そのすばらしさは私の心をとりこにしました。これからもこの道に精進をしたいとおもっております。
41_044

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月10日 (日)

藤沢周平原作の映画『小川のほとり』を観てきました。

Img049

「監督」篠原哲雄  「原作」藤沢周平

「出演」東山紀之(海坂藩士・戌井朔之助 菊池凛子朔之助の妹・田鶴) 勝地涼(戌井家の奉公人・新蔵) 片岡愛之助(海坂藩士・佐久間森衛で妻は田鶴

「参考」人への思いやり、自信と誇りをもって生きる地方武士の世界を描いた藤沢周平の作品にはいつも感動しますが今回は特に海坂藩のある美しい自然と美しい風景がみどころです。

「物語」山形県の海坂藩が舞台で藩士・佐久間がずさんな藩の農政改革を批判し上申書を提出しますが、これが因で藩主の逆鱗に触れます。佐久間は謹慎処分を受けますが更なる処罰を予感して妻とともに脱藩し江戸に逃げます。これを知った老中は藩士・朔之助に「直ちに脱藩者・佐久間を探して討て」という藩命を申しつけます。実は佐久間の妻・田鶴は朔之助の妹で、朔之助(直心流の達人)と佐久間(不伝流の達人)はともに海坂藩の中では誰もが認める剣豪で、親しい間柄でもありました。藩命は絶対服従以外に道のないこの時代の残酷物語がはじまります。どうすることも出来ない朔之助は奉公人の新蔵を連れ、海坂藩から江戸に「佐久間討伐のための長い旅」に出ます。物語の大半はこの旅の様子が描かれ、道中の美しい日本の風景が描かれています。そして遥か彼方の江戸の更に先の行徳の地でようやく佐久間と田鶴の隠れ家をみつけます。二人の隠れ家はふるさと海坂と同じような美しい『小川のほとり』にありました。ここで壮絶な対決がはじまります。朔之助、佐久間、田鶴、新蔵は小さい頃からの幼馴染であり、兄妹であり、親しい仲間同士だったのに何故?・・・藤沢文学の神髄を感じました。封建制度下の江戸時代の武士たちには自分を殺して理不尽な道をどうしても進まなくてはならない時があった・・・朔之助もまさにその一人だった。                                                      Img050

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月 5日 (火)

宗家が(財)日本吟剣詩舞振興会の会長になりました。

Dscn0176

大変な事になりました。「私の詩吟の先生」吟亮流吟風会宗家 鈴木吟亮先生がなんと日本の吟界のトップになりました。私は1977年に吟亮流が吟界の名門であることも知らず入門しましたが、以来ずーっと吟詠指導を受けてきたのですが・・・その先生が財団の会長に就かれて、私自身も何んだかいいようのない嬉しさがこみあげてきました。実は今年の正月の吟亮流一門の初吟会で私は宗家から「皆伝師範の許状」を頂いたばかりなので真に嬉しい記念すべき年となりました。
こんな機会ですので吟亮流宗家のこれまでの軌跡を記しておく事にします。1930年(昭和5年)初代の宗家が吟亮流を創設しました。昨年が丁度80周年となり新装成った杉並公会堂で記念大会が盛大に開催されました。現在の宗家は1976年初代の宗家が逝去し二代目宗家を継承されたのですが・・・私が吟亮流に入門したのが丁度この時でした。したがって初代宗家は私は全く知りませんが色々な資料から振り返ってみたいと思います。

001
初代宗家は実業家で有名な琵琶の師匠でもありましたが、更に詩吟もはじめ当時は自費出版で吟詠レコードを沢山出版、ある時古賀政男氏から吟詠のプロになるよう勧められて、「花の白虎隊」を発表、勇壮な挿入吟が大ヒットし、その後は霧島昇や藤山一郎などとコンビで挿入吟を発表、とくに新東宝映画「明治天皇と日露大戦争」で吟詠家としての地位を不動のものとしたといわれています。
しかし1976年初代宗家は急逝、ひとり娘の玲子氏(現在の宗家)が笹川鎮江氏(前の吟剣詩舞振興会会長)を後見人として二代目の宗家を襲名しました。二代目は若いころからピアノの引き語り、新体詩の作譜などを手掛け、次第に吟詠家として注目されるようになり、最近までは財団の副会長として幹部の指導に奔走されていたと聞いています。昨年は吟亮流の創立80周年記念事業が杉並公会堂で開催され、吟界の幹部が多数出席されました。わたしたち門人も出席しすばらしい大会を誇りに思っていたのですが・・・はからずも今度は財団の会長に就任されるという快挙に嬉しい出来事が重なり喜びをかみしめているところです。

写真「上」は武道館の全国大会で吟詠家全員の吟詠、女性中央が吟亮宗家・写真「中」は吟亮宗家の若いころ(鈴木吟子会長のころ)・写真「下」は75周年記念大会の折で中央左側が吟亮宗家

009

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月29日 (水)

第41回吟詠の集いで構成吟『花の都長安・・・時代を謳歌した唐の詩人たち・・・』を発表しました。

41
期日          2011年6月19日(日)  15.30から

会場          習志野市民ホール

演題          花の都長安・・・時代を謳歌した唐の詩人たち・・・

主催          吟亮流千葉吟風会

脚本、舞台演出    坂井 吟啓

毎年春に開催している「吟詠の集い」ですが今年は会場確保ができず、梅雨期の真っ最中の開催となってしまいました。幸い涼しい曇天に恵まれ発表会も成功裏におわりました。今回は私の第9作目の作品になりますが、脚本、舞台演出だけでなくパワーポイントによるスクリーン作成もやっと慣れてきて私にとって最良の出来栄えだったように思います。さらに今回は発表会直前に吟亮流宗家が(財団)日本吟剣詩舞振興会会長に就任されるという記念すべき発表会となりました。
今回は11時に開演会員の独吟コンクール、各地の詩吟教室毎の合吟、来賓吟詠なども行い、最後に会員全員が出場して構成吟の発表を行いました。約1年をかけて中国の楼閣や廟など独特の風景写真を集めPower Point2007のソフトを駆使して風景の上に漢詩をアニメーションで重ねるという手法で20シーンほどを舞台のスクリーンに投射するという演出をしてみました。途中には「剣舞・詩舞」も織り交ぜ唐代の詩人たちの物語をナレーションにして吟詠とあわせてテンポ良く進めてみました。私は舞台前の客席から流れを確認しながらシンセサイザーの伴奏を流しパソコン操作でスクリーンを順次変えてゆく作業を行いました。約1時間の物語ですが終了後の大きな拍手と友人や仲間からの「スクリーンが美しく、物語がすばらしい朗読者の声とあいまって感動的だった」などの評価を頂きました。この瞬間のために・・・報われた喜びをかみしめているところです。

上の写真は同僚の池田さんから頂きました。右下の吟詠者が私です。下の写真は終了後の懇親会場で鈴木吟亮宗家と尺八演奏家の河野正明先生です。
Photo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月27日 (金)

「花の都長安」公演の最終予告です。

23

  期日  2011年6月19日(日) 15時30分から   入場無料

  会場  習志野市民ホール

  演題  「花の都長安・・・時代を謳歌した唐の詩人たち・・・」

  備考  当日は李白・杜甫・王維などの有名な漢詩を舞台のスクリーンに映し来場

              者が詩文を見ながら吟詠をお楽しみ頂けます。また受付で脚本(朗読文)を

              差し上げます。今回は最終会として朗読文の最後の部分を紹介します。

このころ(唐代の終わりころ)役人の権力争いに嫌気がさして役人を辞めてしまった白居易は唐の時代では最も沢山の詩を作った詩人として知られています。長恨歌は玄宗皇帝と楊貴妃の恋物語として有名になりました。彼の詩は日本の平安朝文学にも大きな影響を与え紫式部や清少納言等の愛読書にもなっていたという事です。

            めぐり逢いて      紫式部

   めぐり逢いて 見しやそれとも 分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月影

「安史の乱」はその後9年間も続き長安の街はことごとく破壊され廃墟となってしまいます。これまで色々な先進文化を取り入れてきた日本は唐の混乱を知って遣唐使を廃止、その後は国レベルの交流はなくなりました。340年という長い間栄華を極めた花の都長安はこうして西暦960年終わりを告げ唐の王朝はついに滅亡しました。沢山の詩人によって私たちに深い感動を与えてくれた漢詩は中国の文学であるだけでまく、今や日本の文学でもあります。最後に滅びゆく長安を見守っていた詩人白居易の詩「草」を聞きながら終わりたいと思います。「草原にはえる草は一年で枯れ尽きてしまう、しかし翌年になると必ず芽が出て生い茂って新しい命が生まれてくる。人の世も同じではないだろうか?と語りかけているようです。

              草        白居易

    離々たり 原上の草 一歳に 一度 枯栄す

    野火 焼けども尽きず 春風吹いて 又生ず

    遠方 古道を 侵し 晴翠 荒城に 接す

    又王孫の去るを送れば 萋々として 別情満つ

24

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月22日 (金)

福島原子力発電所は20キロ圏内立ち入り禁止となる。

Img040_2
2011年3月11日発生した東日本巨大地震に伴い起きた福島原発事故はいまだに炉心冷却の対策が出来ず放射能漏れが続いていて深刻な問題が続いている。そんな中で政府は『労働対策基本法』の一環として、原発から20キロ圏内を「警戒区域として立ち入り禁止」を発表した。この地域の住民は8万人といわれすでに自主避難者もいたが心配が増すばかりである。このような広範囲な強制的退去命令ははじめてのことである。さらに政府は30キロ以内を「緊急時避難準備区域」とし、いつでも避難できるよう準備しておくよう要請した。

「参考
国際放射線防護委員会(ICRP)は2007年に放射線量が年間で20~100ミリシーベルトに達する場合は健康に悪影響を与えるとして特別対策をとるよう指示している。
現在の汚染状況は半径3キロの地点で100マイクロシーベルト/1時間といわれる。

「福島原子力発電所」
1971年に1号機が運転開始。1979年に6号機が運転開始で現在までに約40年間運転中
である。今回の事故ですべての原子炉の廃炉が決定しているが事故対策、住民補償、廃炉までの対策に数十兆円という莫大な費用が必要といわれている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月12日 (火)

東日本巨大震災から一カ月が経過現況報告

A2011

3月11日発生の東日本巨大地震と巨大津波による災害は1カ月経過しても未だ手がつけられない所が多数あり連鎖で発生した福島原発はさらに深刻な状況です。現況を記録に残すべく概要を下記にしました。

        「現況」
① 死者(12915名) 行方不明者(14921名)    合計(27836名)
② 県別死者の上位   宮城県(7869名)  岩手県(3783名)  福島県(1201名)
③ 避難生活者 164000名
④ 壊滅した漁港  295ヶ所
⑤ 使用不可の漁船  22265隻
⑥ 福島原子力発電所  1号機から5号機まですべて廃棄と決定。
⑦ 原発から20キロの住民は強制避難中・30キロまでは自主避難扱い。
⑧ 4月12日現在でも宮城県、福島県だけでなく松戸市でも震度4以上のおおきな
  余震が頻発している
⑨ 4月12日に政府は「福島原発の事故評価を最悪のレベル7にした」と発表。
  過去「レベル7」を記録したのはチェルノブイリ原発(1986年原発爆発事故で30人
  が死亡、現在も周辺の立ち入り禁止が続いている)だけで福島の1~3号機は現在
  も解決の見通しがたっていない。放射能漏れが続いている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月21日 (月)

構成吟「花の都長安」 予告 Part 2

2   
西暦660年、16歳の阿倍仲麻呂は遣唐使と一緒に唐に渡りました。唐では「科挙」の試験に合格、玄宗皇帝の宮廷で役人となって活躍をしました。李白・杜甫・王維など有名な詩人たちと一緒に働き大変親しい仲となりました。あるとき杜甫と一緒に「月見の宴」を開きふるさと日本の三笠の山に出た月を思い出して詠んだ有名な歌が「天の原」です。

                 「ココ」をクリックして吟詠をお聴きください。

    天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし 月かも

玄宗皇帝のもとで35年ほど勤めた阿倍仲麻呂は一度日本に帰りたいと許可をいただき船で帰国しました。しかし彼は途中で台風に遭い遭難してしまいました。この話を聞いた友人の李白は「晁卿衝(阿倍仲麻呂の中国名)を哭す」という詩を詠んでいます。
その後彼はなんとベトナムに漂着し再び唐の長安にもどってきました。そして再び日本に帰ることなく73歳で生涯を閉じました。

            晁卿衝を哭す     李白

     日本の晁卿 帝都を辞し 征帆一片 蓬壺を遶る

     明月帰らず 碧海に沈み 白雲愁色 蒼梧に満つ  
3  

       

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«伊豆高原温泉のコンドミニアムホテルに初めて泊まりました